トイレットペーパー、三角折りするか?しないか?
忘れっぽいのが悩みの私。手にメモをするようにしているのだが、
その後様々なことが起こってしまったり、人と会話したり(これにとても神経を使うので頭がまっさらになってしまう)すると、しばらく気持ちが落ち着くまでメモを見ること自体忘れてしまう。頭の中で複数のことをピン止めしておくのが苦手なのだと思う(HSPでいうところのマルチタスク?)。
今日もまた伝達を忘れてしまった・・・。
選択肢としては A・電話をかけて伝える。
B・翌日出勤の職員に謝罪&伝えてもらう
なのだが、こういう時決断できないのが『忘れっぽい以上に悩んでいること』である。
電話は基本緊急時などにかけるものなので、かけたら(しかも夜である)迷惑ではないだろうか? そういうことを相談すれば「要件によるんじゃない?」とも言われそうだが、その『要件』も判断が難しいのだ。
人によっては『その程度で電話かけないでほしい(実際言われたこともある)』と言う人もいれば、『ちゃんと伝えてほしい』と言う人もいる。
そして、どっちを選んだにしろ、『あーなんで自分はこうなのか』と反省しながら眠りにつくのだ(週末であれば休日の間ずっと引きずるので最悪である…(笑))
結果、《人によって良い・悪いの感じ方が違うことの判断が苦手》なのだろう。
例えば、初めて就職した職場でトイレ掃除をした時だ。
私はトイレ掃除をした後、トイレットペーパーを三角に折っていたのだが、ある時先輩から『触れるの嫌がる人もいるから折らない方がいい』と指摘されたのだ。
・・・・・・まじか!!!!!!!!
学校では当たり前のように『掃除完了の合図』『その方がきれい』と教わってきたのだが、言われてみればその部分は、誰かわからないが他人が手で触れた部分ではあるのだ。気になる人は気になるだろうし、その部分は使われず無駄となる(個人的には内側に巻き込めばよくないか?とも思うが)。
ともかく、それまでの三角折りを、それ以降きっぱりやめたのだ(まあ、楽なのでしなくていいならそれに越したことはない)
私としては、『今どきの子は三角折り知らないのね』『教わってこなかったのかしら』と言われるのが嫌できちんとやっていたつもりだったが、常識はその場・時代によって変わるのかもしれない。職場が変われば、三角折りが当たり前のところもあるだろうし。
なんにしろ、《良かれと思ってしたことが実は余計なこと・迷惑だった》のはものすごくへこむものだ。(苦手と知らずお菓子をあげてしまったり、気をつかったつもりが空回りしたり……は多い)
以来、判断が怪しいときは確認するようにしている。
確認する、と言えばもう一つ。
あまりに慎重になりすぎて、うまく相手の言葉を汲み取れないこと。
例えば
「手伝えることあれば仕事手伝います!」と言った時、
「大丈夫です」と返されたらどうするか??
おそらく①遠慮している と取る人が殆どで、もう一押しして一緒に作業するのだろう。
しかし、私の場合
②私の技量でできることがないのかもしれない
③一人でやりたいのかもしれない(私はこれがたまにある)
④もう終わるところなのかもしれない
といろいろ考え、そのもう一押しができない。
と言うより、もう一押しして「じゃあお願いします」と言われた時、
本当にその人は助かったのか?私の善意を汲んでくれただけか?本当は♪別に君の助けを求めてないけど~と思っているんじゃないか?
というとにかくめんどくさい考えが、ぐるぐる回ってしまうからだ。
手伝って欲しいのなら「助かります!お願いします!」と言って欲しいし、
「大丈夫」と断るのなら一人でやりきればいい。
日本人の性格なのか、「大丈夫」と言っておいて大丈夫でない人も多い。
また、「大丈夫」と言っておきながら手伝ってもらえないと「大変」と言う人も多い。
「大丈夫」と強がっておきながら「いいから手伝わせて!」と強引な優しさをもらうと「私は一人でやろうとしたんだけど、あの人が自分から手伝ってくれたんだよね」と素直に甘えられない人もいる。
まあすべて私なのだが(笑)
最近はようやくそんな考えに思い至って、大変な時には素直に手伝って欲しいと言えるようになり、また、「大丈夫」と言った時には弱音を吐かず一人でやりきるように意識している。
日々、判断に悩むことは多い。
自分なら?と考えても、他人は自分ではない(当たり前)ので、正解はすぐに出てこないし、予想や期待は裏切られることが殆どだ。
そうなると、『相手がどう思うか』より『自分がどう思うか?』を重視した方がいいように思える。
電話であれば、夜に電話をかけて迷惑をかけたくない なのか、
かけた方が自分がすっきり休日を過ごせるのか。
手伝いであれば、その人を手伝いたいのか?
→その人を気遣ってではなく『自分が手伝いたいのだ』とはっきり伝える。
そして、どちらにしろ選んだのなら後悔はしないように。
「やっぱりあっちにしとけばよかった」は次に生かすと考えて、
その件は考えない。もしそれでうまくいかなかったらその時は謝ればいい。
自分が思い悩むほど、まわりは思い悩んでいないものだ。