ひねもすのたり物語り

HSPとあれこれ

1/10000×HSP

HSPの特性の一つでもあるのかもしれないが、

想像力がとにかくたくましい。

妄想力ではない。想像力だ。

「こうなってほしいなあ・・・」であれば幸せな気分にもなろうものだが、

「こうなるのではないだろうか」「こうである可能性があるな」「こうなったらどうしよう」は大抵ネガティブな方向に膨らんでいく。

心配や不安を、『深く考える』という特性でどんどん自分の中で勝手に増幅していってしまうのだ。

 

非HSPはどんな風に考えるのかわからないが、『考えすぎだよ~(笑)』『そんなことまで考えてたらなんもできないよ』とよく言われるので〝一般的・大多数〟より心配や不安が大きいのは間違いないと思われる。

 

かといってもちろん全てにおいて不安を思い描いているわけではない。

例えば、家を出た後

「コタツのスイッチを切ったか?」と、

「鍵を閉めたか?」であれば

タツ~の方が不安になる。ガスやストーブならともかく、コタツなら普通に使っている分には火災になることはまずなさそうだが、万が一の可能性もある。その場合、自分だけの被害では済まないのだ。

一方で、鍵のかけ忘れは私が被害にあうだけ。いや、だけじゃねーよ、おおごとだよ!

と突っ込みたくもなるが、それでも私にとっては私だけの被害ならその方がいいのだ。

 

車の運転も、怖い。必要に迫られれば運転すると思うが、そもそも苦手なうえに『事故』を起こすことばかり考えるので全自動運転(駐車も)の車が出るまで運転する気はない。ゴールドペーパー万歳だ。言わずもがなであるが、この場合も怖いのは「自分が事故で死ぬこと」ではなく、「他人に被害を与えてしまうこと」の方だ。自分が生き残ってしまったその先を考えるとどう考えても運転する気にはならない。自分も死んだとしても、家族のことを考えると少しでもそんな未来になる可能性は潰しておきたい。

 

このあたりで自分でも打ちながら「考えすぎだな」「そりゃ生きづらいわ」と笑えてしまう。でも『万が一』でも『一』と言う可能性がある限り、その想定もしてしまうのが私なのだ。

 

《他人に被害が及ぶこと・迷惑をかけること・不快にさせてしまうこと》

が私にとってものすごく〝大失敗〟なのだ。

だからこそ、返答一つに悩み、時間もかかってしまう。

言動一つに後悔し、「あれでよかったかな」と引きずってしまう。

相手の意見に合わせてしまう(相手が嬉しいならそれでいい)。

 

先日、コロナウイルス陽性の友人と会う機会があった。

会ったと言っても店先で1分ほど会話した程度だったのだが、以降しばらく悶々としている。万が一私が罹って死ぬ、それは仕方ない(もちろん死なないに越したことはないが)が、職場や家族・友人に言うべきか?

さすがにあの程度の接触では移らないだろう、と話題にもしなかったのだが、日が経つごとに『万が一、自分が無症状でも、菌を持っていて職場でクラスタが発生してしまったら・・・?』とまで考えてしまい、不安で仕方なくなった。ちなみに怒られるのも嫌いなので『なんで言わなかったの!』と言われるのも怖い。

 

自分で耐えられなくなり知人に話したところ、『もう会った事実は変わらないし、その後普通に過ごしてもいたんだから、今更考えたって仕方ない。そうなったときに考えよう』と言われ、スッと気持ちが軽くなった。

ただ、対策を考えないと気が収まらない性分なので、

ひとまず 万が一の可能性で感染して迷惑をかけた

         →転職の機会だと思って仕事を辞める!

というテンプレートだけ決めておくことにした。

それまでの過程や、その後のことは今は考えない。

うまくいかなかった時の行動の《第二候補》的なものを簡潔に考えておくことで、

万が一に対応しつつ、それ以上考えることをやめるきっかけにするのだ。

(この第二候補云々の考え方は、先日見某戦隊モノのグリーンが実践していた。子ども向けと侮れない・・・!(笑))

 

 

すぐに気持ちが浮き沈みしてしまうので、できるだけ心配事は心配しつつ、ある程度第二候補の対策「もしダメだったときはこうする!」を考えたら頭の隅に寄せておくようにしよう。

予測してても失敗するときは失敗するし、

予測できなくて失敗することもある。

 

不安や心配のせいで

さらに他のことがうまくいかなくなることだけはないようにしよう。