ひねもすのたり物語り

HSPとあれこれ

他人の怒りは他人のもの。

感情をぶつけてくる人が苦手だ。

 

些細なことなのに大げさに責めてきたり、

怒ったところでどうしようもないことを声を荒げて言ってきたり、

理不尽なことを言ってきたり。

 

必ずまわりにそんな人はいて、

私はその人の感情に圧倒されて、

受けとめた怒りや不満はお腹の中にドロドロとたまっていく。

その人はしばらくするとすっきりしたのか

機嫌が直ったのか

笑って話しかけてくる。

 

楽しさも、怒りも、いろんな感情が表に出やすい人なのだろう。

でも私はもらったドロドロを消化できずにいて、

すぐに笑顔では応じられなくて、

そうすると引きずっている私を「めんどくさい」と不機嫌な表情で引き離す。

 

私の中のドロドロがまた溜まる。

 

 

「うざいんだけど」「勝手にすれば」「本当、嫌い」「頭おかしいんじゃない」

 

別に自分に向けられた言葉じゃなくても、

誰かが誰かに感情的になってそんな言葉をはいているのを見ると

苦しくなる。

それが仲のいい人であればあるほど。

その人にとっては大した言葉じゃないのかもしれないけど、

そんな言葉を言うその人の心理状態がつらくなる。

 

幸せな人、満たされている人はそんなことは言わないだろうから、

その人は現状に不満があるんだろうな、と。

 

祖父は理不尽なことでしょっちゅう声を荒げる人だった。

母が鍋のふたを落として音を立てただけで、大声で詰っていた。

戸がしっかり閉まっていないと怒鳴り、

魚の調理法で怒り、自分が家の大黒柱であることをいつも主張していた。

 

機嫌がいい時には孫の私には優しい祖父だったが、

小さい頃は何が怒りの引き金になるのか怖く、

祖父と母が実の親子なのに仲が悪いことがとても悲しかった。

 

そういう人に言い返しても、

正論であればあるほど腹を立てるから、

こちらが折れるしかないのだ。

母を見ながら自然とそう学んできたのかもしれない。

 

ただ、そこで『自分が悪いのだ』と思ってはいけない。

怒りの感情は、他人に押し付けるのではなくて、

自分で処理しなくてはいけないもの。

逆に言えば、他人の怒りの感情はその人の物であって、

こちらで引き受けて持てあます必要はない。

 

他人への悪口も、その人が他人の言動を受けとめる余裕がないだけ。

私がその人のことを嫌いでないのなら同調する必要はないし、

胸を痛めなくてもいい。

「ああ、この人は今自分に余裕がないし、人生うまくいっていないんだな」

と思っておけばいい。

 

自分がそうならないように。

他の人に負の感情を押し付けないように。

ストレスは自分で解消できるように。

自分の行動を肯定して、自分の考えで行動できるようにしたい。

 

 

 

追記

 

怒りの感情は受け取る必要はないが、嬉しいこと・楽しいことはどんどんもらっていきたいし、悲しみは受け取らず、寄り添ってその人の慰めになればいい。