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あたまの中の引き出し

備忘録のような分析のような日記のような

過半数の人間関係

元々人間関係は面倒だが、この頃特に感じるのが『過半数の人間関係』(←今勝手に名付けた)の面倒くささだ。

 

これは友だちグループが3人以上から発生する現象である。

例えば5人の友だちグループがあったとする。

5人でよくでかけたり、集まってご飯を食べる。

これなら問題は無い。

 

ある時、たまたま5人のうち2人が買い物中に会い、カフェでお茶を飲んだ。これも問題ない。

 

別の日、5人のうち某俳優が好きな3人でその俳優が出る映画に行く。他の2人にも声をかけたが、興味が無いため『行かない』といい、これも問題ない。

 

ところがある日、帰り道が一緒になった5人のうち4人でそのままご飯を食べに行った。残りひとりはその日外出していて、あえて知らせることもないだろうと知らせなかった。

 

ここで過半数の人間関係の問題が発生する。

もしこれが、5人のうち2人がご飯を食べに行って他言しなかったのなら問題は無い。しかし、過半数の4人が行ったことで、しかも『残りひとりを誘わなかった』ことで悪気がなくとも『仲間はずれ』の形になってしまうのだ。

 

家が近い、

趣味が合う、

独身、

外食が好き

いつもひま、

 

などこれはいろんなパターンで起こること。

悪気がなく、集まった方誘った方は『仲間外れのつもりじゃなかった』となるが、過半数から外された方は『選ばれなかった』と感じてしまう。

 

人数が多いほど、全員予定があわなかったり、『そんな大がかりな集まりじゃないから……』と数人でだけ集まって……ということがあるが、それが過半数になればやはり残された方はいい気がしないので気をつけるべきだ。

 

 

少し見方が変わるがこれは『赤信号を渡る時』という状況でも似たようなことが起きるのではと思う。

 

車の通りが少ない、小さな横断歩道があるとする。

信号を無視して通ることもそんなに危険ではなく不可能ではない。

 

そこで、

①信号を待つ人→3人

    無視して渡る人→1人

という状況だと無視してる側が『悪』の扱いになる。

待っている人からすれば『信号を守らないなんてけしからん』『ああいうやつが事故るんだ』といい印象はしない。

ところが、

②信号を待つ人→1人

 無視して渡る人→3人

ならどうだろうか。

渡る人からすれば、『そんなバカ丁寧に待っていて……臨機応変に渡ればいいのに』とちょっとした優越感を感じるし、待つ側は自分がまるでアホらしく思える。

 

もちろん私のひねくれた感覚なので、全員がそう思うわけではないだろうし、確固たる信念を持って渡らない人(確固たる信念で渡る人は少なそうだが)もいるだろう。

 

しかし過半数が『正義』『強い』『優位』と思ってしまうのは多くの人にあることではないだろうか。

 

 

また、自分が過半数から外された時、やはり『劣等感』を感じてしまうのだ。

 

人間関係はつくづく面倒で難しい。

 

(こんなことを考えている時点で私にサバサバした付き合いは無理そうだ)

 

エステサロンにて

 

エステサロンといっても2か月に一回通う脱毛なのだが、私が行っているサロンはまぁ最近とにかく勧誘がすごい。いや、どこもそうなのだろうか。

 

今日も処置を終え、処置室とは別の、小スペース=カウンセリングルームに通される。『カードを返しますので』という名目だけどカードなんて処置室で返せるじゃん!!次回の予約ももう入れたしなにすんねん!!!とツッコみどころが満載だ。でもカードを返してもらわないわけにも行かず(というか処置室を出るとスタッフさんが待機している)、カウンセリングルームへ。

 

カウンセリングルームでは毎回やれハロウィンだ、クリスマスだ、と『お得(らしい)企画』が紹介され、「決断は今だけしかできない」と、謎のプレッシャーをかけられ追加の脱毛箇所やエステを勧められる。高額(私にとって2桁万円は高額だ)な購入を即決しろと????テレビショッピングかよ!!

 

さて今日はどんな企画が用意されているのか……やっぱり新年モノかな……新年モノってなんだよ……なんの課金ゲーだよ……

 

カウンセリングルームに通され、ついさっきしたばかりの次の予約を確認されつつカードを返される。〇〇の箇所はあと何回、〇〇は次で終わりですねーという会話もさっきしたわ!!むしろさっきお前が言った日付を私が覚えているのになぜお前は覚えていない!!なぜカルテを確認する!!!つい「〇月〇日ですよね」と先走って言ってしまう。

 

さて、カードを返されてからが本題だ。

私がカードを財布にしまっていると、『今お正月企画で~』と始まった!!!きたきたきた

カウンセリングルームに入った時から視界にくっそ入り込んできたでかい抽選箱の出番である。

『ハズレもあるんですけど、よかったら1枚どうぞー』

 

『あっ、いらないです』

が本心だったが、まあ引いて強制的に金払うことにはならないだろうととりあえず一枚引く。

 

 

と……特賞?

 

 

そもそも何等まであり、どんな景品が当たるのかは張り出されていない。そんなくじあるのかよと今書いてて改めて思う。特賞は何本入っててどれだけすごいのか全くわからず「えっと……」しか言えない私

 

『特賞……!10万円引きです!すごいです。1等は5万円引き、2等は3万円引きなんですよ!』

 

そうか、それはめでたいとおもいつつ私の猜疑心は揺るがない。

 

問題は何から10万円引きか、だよ。

そんな手放しで喜ぶほど甘い社会で生きてきてないんだよ!!!

 

 

案の定出されたのはコースのセット。三パターンくらいあったが、10万円引いたところで一番安いのでも17万円は自腹だ。アホか!!誰がそんなのに乗るかよ!!!

だったら10万円欲しいわヴァァァアアカ!!!……と、某ロシアンヤンキーに蹴り倒して欲しいほどだったが、表情はとにかく冷ややかだったと思う。というかルーム入ってから目を合わせていない。

 

というか『ハズレある』といいつつ、

特賞2割

1等4割

2等3割

ハズレ1割

とかなんじゃねーの

 

そして原価考えると割り引いても損しないようになっている……

わたしの疑い深さをなめんなよ!

 

 

驚いたことに、いつもなら『断るなんてもったいない!!』

と15分はグイグイ押してくるのに今日は『すみません』というとあっさり『わかりました、破棄しますね』と終了した。

 

私が断り続けてるからついに諦めたか??

それとも『特賞』はもしかして1割くらいで、さすがに10万円引きは痛いから『あっ……やべーわこいつ特賞引きやがった、辞退しないかな』と思って引いたのか、それはわからない。だって何がどのくらい入ってるなんて掲示されてないんだものね!!

 

とにかく運が良かったのか、それとも店の手のひらの上だったのかははっきりしないが、とりあえずあっさり勧誘がおわってホッとした日であった。

 

運が良かったとしたらこんななにも貰えないところで特賞を引くなんて……とある意味運が悪いのではないか。

 

『(こんな場所で)今年の運を使っちゃいましたねー(笑)』

 

と、さり際本音を吐いてしまったことを許して欲しい。

 

 

次回はどんな勧誘が待ち受けているのか…

億劫だが楽しみだ。

 

 

 

 

 

 

 

スマスマお疲れ様でした。

根っからのSMAPファンではないし(むしろV6担である)、スマスマも小さい頃見ていたくらいでかれこれ10年以上見ていない。そもそも小さい頃が小学生くらいなので内容もほとんど覚えていない。生卵飲んでたなーとか、キムタクがうさぎの着ぐるみ着てたなーとか、料理作ってるなーとかそれくらい。

 

しかし、なんとなく見てしまい、泣いてしまった。

 

デビューは私が生まれた年だ。

その時あどけない少年だった写真が流れ、

この時彼らはこんなにも長く愛され、有名になる、そしてこんな終わり方をするということを知らなかったんだと思うと切なくなった。

 

SMAP以前にもジャニーズはもちろんいたが、SMAP以降と以前でまた毛色が違うように思う。TOKIOもV6もKinKiも嵐も、その更に若いジャニーズグループたちも。人気が出る、長く続くということはそんなに簡単に出来ることじゃない。しかも自分が頑張れば出来ることでもない。

 

28年。

すごい数字だ。

忘れようにも忘れられず、

なかったことにも

塗り替えることも出来ない思い出。

 

 

スマスマの最後、世界に一つだけの花を歌うSMAP

背後にたくさんの花。

 

解散、という別れ。

 

なんだかお葬式のようだな。と思った。

 

春に祖母が亡くなったことと重なった。

 

グループの解散は、人の死と似ている。

 

実際SMAPの面々は死んでしまうわけではないけれど、

もうSMAPとしては会わなくなる。歌も聞けなくなる。

 

Twitterで『泣くなら解散しなきゃいいのに!解散しないで!』というファンの言葉をたくさん見た。

わかる。すごくわかる。私もV6が同じ道をたどったらそう叫ぶに違いない。

 

けれどこれは、『死にたくないなら死ななきゃいいのに!』と祖母に言うようなものなのかもしれない。

 

病気を患った祖母。

当然生きたかっただろう。

ひ孫の成長をもっと見たかっただろう。

元気に畑に行きたかっただろう。

 

でも、病気だったのだ。

 

 

SMAPも同じなのかもしれない。

ファンのために、続けたかった。

諍いの姿を見せたくなかった。

5、60年一緒にいたかった。

 

でも、もう治せない病気だったのだ。

 

祖母が自分の体をもうどうしようもなくなったように、

彼らも自分たちに生じた歪をもう、どうしようもなくなったのだ。

 

祖母が、何もわからず寝たきりになる前に旅立ったように、

彼らもファンを思ってこそ、今の場所を旅立ったのかもしれない。

 

続けて、とファンはいうかもしれないけれど

 

SMAPにとって、ボロボロの姿をファンに見せたくなかったのではないか。

 

 

 

 

とにかく言える事は、今までありがとう。

 

本当にこの言葉に尽きる。

 

たくさん元気を貰ったのだ。

 

彼らの今後を、暖かく見守るのが

恩返しでは、と思う。

 

 

 

ありがとうございました。

お疲れ様でした。

 

 

 

 

祖母の言動が私の生活のあちこちで甦るように、

SMAPの曲も、メンバー一人ひとりも、

きっとこれからも日本中の人の心の中に残り続けるだろう。

 

 

 

 

 

プレゼント交換

生きていて1度はプレゼント交換という誰も得しない儀式に参加したことがあるはずだ。

 

欲しいものが当たらず、『ビミョー……』という空気に晒される。

 

小学校の時の授業の中のクリスマスプレゼント交換(手作りで、確か100円以内とかそんな)に始まり、社会に出ても未だに毎年プレゼント交換に強制参加させられる私。

 

 

貰うのもビミョーであれば、選ぶのもビミョーである。

人数が多ければ多いほど『みんなが喜ぶもの』が限られてくるからだ。

 

嫌な人はいないだろう、と思っていた

入浴剤は、『風呂の水を洗濯に使うから入浴剤使わない』

                    『風呂沸かさない。シャワーだけ』

という言葉を聞いてから選択肢から外れた。

タオル、コップ、食器は一見あっても喜ばれそうだが、有り余ってる家も多い。

キャラクターグッズは好みが分かれる。

食べ物も以外に好き嫌いがハッキリしているため、1品で攻めるのは危険だ。

文房具は消耗するのであっても困らないが、無難すぎる。

クッション、ブランケットは欲しい人いらない人が極端にいる。実はあまり使われない。

 

 

ふと考えたのが、『周りからの反応』である。

 

例えば、いらないものが当たって、周りの反応も『あー、うちもいらないわ…』だったとする。テンションがた落ちだ。

 

しかし、もし周りが『えーーー?!なにそれ!面白いね!!』『欲しかったやつだ!!』『交換してーー!!』なんて反応をしたらどうだろう。『いらないもの』に、一気に価値が出るのだ。

 

以前のプレゼント交換で、某ネズミ王国のぬいぐるみがあたった。正直そのキャラクターに興味がない私は『げー……使えないなぁ、』と思っていたのだが、周りの反応のすごいこと。『交換して!』に対してつい『だめー!』と言ったほどである(くれた本人もいたから当たり前だが)。なんとなく『当たり』を引いた気になった。

 

つまり、だ。

逆に考えれば、『全員の好みを把握するのが難しい』のならば、『周りが羨ましがる、あるいは注目を浴びるものを選べばいい』のではないだろうか??

別に『みんなが欲しいもの』でなくていい。そんなのが分かっていればそもそも苦労はしないのだから。そうでなく、『人が選ばなそうなもの』

『珍しいもの』

『自腹ではまず買わないもの』

である。

 

実際いらなくとも、好みでなくとも、交換後のお披露目で一旦注目が集まる。『すごい』『そんなのあるの?』『なにそれ!?』という言葉を貰うだけで、もらった側は少し優越感を感じるのだ。少なくとも『あー、かわいいね(棒)』『何もらった?……ふぅん、』よりは。

 

 

ということで今年もプレゼント探しに頭を悩ませつつ向かおうと思う。

適当に選べる人間だったらどれだけ楽か…

 

そして今年は何をもらうのか。あまり期待しないでおこう…

 

(自分がこうして悩んで買う分、相手からのプレゼントが適当だとやるせなくなるので、いい意味で適当に買えるのが一番いいと思うという結論)

 

おやすみなさい。

宝くじ

友だちから『宝くじを一緒に買おう!!』と誘われた。

私は人生で一度も買ったことがない。親がそういうのを買わなければ買わないのではないだろうか。

 

一万円分、と聞いてビビる。

まじか。

 

別に現実主義者ではないし、ギャンブル的なものも嫌いではないが、見返りの薄いものはあまり好きじゃない。

 

当たる時は5枚買っても当たるし、

当たらないときは100枚買っても当たらない。

主義である。

数撃てば、じゃなく運命を信じる人間なんだなーと改めて気づく。ロマンチストだったのね。

 

宝くじだが、300円、3000円、1万円、100万円……と当たっていくらしい。

 

ならば3000円分買うのが妥当な気がするのだがどうだろう。

300円当たっても2700円の損だからまぁ諦めがつくし、1万円当たったら7000円の黒字!!

ギャンブルにはちょうどいい気がする。

(1万円買って3000円当たってもまぁそりゃ当たるか、くらいにしか思わないし、1万円当たってもプラマイゼロ)

 

宝くじを躊躇うのはそれだけではない。

ひとりで買うならともかく、友人と……なんてなんだか恐ろしい。

当たらなければ御の字だが

もし片方が高額を当てたら。

隠せるわけもなく、人間関係が歪みそうである。

お金ほど人間関係を壊すものはない、気がする。

 

同じ1万円を使うなら、個人的には

 

お年玉付き年賀はがきを150枚くらい買う。

景品が当たればラッキー

(ちなみに一等は10万円)

当らないハガキで、懸賞に応募

(2000円くらい余ってるので雑誌をいくつか買う)

欲しいものを狙ってもよし

高額家電を狙って売ってもよし

現金でもよし

 

 

150枚あれば宝くじより何かしらあたるのではないかしら。

 

性格わるいかしら。

 

ふつーに宝くじ買う人の方が純粋な気がしてきたな……

 

 

 

しかしなんだかんだ流されて1万円ドブに捨てる展開が目に見える

 

おやすみなさい

間違えたとき

よく浮かれてる時や時間が無い時にミスをするのですが、

ミスをして迷惑をかけてしまった時、相手の反応が気になります。

そんな、お前ミスした立場で何言ってんだって感じですが、逆に自分が迷惑をかけられた時こう対応しようかな、と考えるきっかけになります。

 

 

例えば。

 

Aに頼まれて、ジャガイモと玉ねぎとにんじんと牛肉を買いに行った私。

間違えて牛肉ではなく豚肉を買ってしまいました。しかもひき肉。

なんとカレーを作るつもりだったらしい。

 

A「私ちゃんが悪いわけじゃないよ!!私もカレーを作るって言っておけばよかったし!そもそも自分で買いに行かなかったわけだし!ごめんね!」

 

へこみますよね……。

 

いっそ責めてくれよ……。

 

まず、間違えた時点で私のミスである事は確実。

そこを認めて欲しい。

でないとひたすら私は「私のせいで」を繰り返すはめになる。言葉でも頭でも。

 

そしてAさんが自身を責め始めたら私はそちらも否定しなくてはなくなる。「Aさんはなにも悪くないじゃないですか!私が悪いだけです!」を言い続ける地獄。

 

例えば、「あちゃー!いや、でもレシートあるし取替えてもらえるんじゃない?」

 

なんて言ってもらえれば、「ごめんなさい」と謝ることもでき、それを「許してもらい」、「解決策を一緒に考えて」もらえる。

 

A「いいよ!大丈夫!カレーは今度にして今日はハンバーグにするから、気にしないで」

 

も、一瞬解決策っぽいけれど、『私のミスでAさんに迷惑をかけた』感がじわじわ強まって借りを作ったどころじゃない。

 

相手のミスに対して、「落ち込むだろうから責めてはいけない」という気持ちは大事。でも「ミスしたことに共感して認めてあげること」も大事。

 

相手が挽回するチャンスを作ってあげる。

 

…………なんて、ミスばかりしてる私が言える話じゃないんだけども。

もし誰かがミスしてしまった時には、相手の「迷惑をかけてしまった……」という気持ちを否定せず、大事に受け取って、改善策を一緒に考えたいものだ。

 

 

情は人の

情けは人の為ならず、

 

昔の人はなんて的確な言葉を考えるんだろうか。

 

職場でミスをしてしまった。

明らかに私の過失。

 

私自身で上司に謝り、代案を立てて……というつもりだったのだが、先輩がどうにかならないか、とフォローに回ってくれていた。私には技術のない部分で、何時間も手がないか尽くしてくれた。

 

怒られるのを覚悟で、上司に説明し謝罪すると、

「してしまったことは仕方ない。今からどうするか考えなくては」

と、私が思いつかなかった代案を立ててくれた。

しかも、私が迷惑をかけた相手方に頭を下げなくていい方法で。

 

「先輩方にもいろいろやってもらって迷惑かけてしまったんです」

 

と言うと、上司から

 

「あなただって、困っていたら助けるでしょ?」

 

と言われた。罪悪感から、一気に感謝の気持ちに変わる。

 

ここは。

「迷惑かけてごめんなさい」

ではなく、

「助けていただいてありがとうございます」

 

なのだろう。

 

情けは人の為ならず。

 

今まで特に見返りを求めて誰かを助けるという意識はなかったが、(ものすごく厚かましい考えなので人前でいうものではないが)今回助けてもらった時、自分の今までの行いが正しかったのだと安堵した。

 

 

今回助けてもらった嬉しさ、優しさを忘れず。

 

これから何のためらいもなく人を助けられるような人間でいたい。

 

 

ミスは結局取り消すことは出来なかったが、

先輩や上司の優しさに触れ、感慨深く思った1日であった。