祖母の命日
厳しくも優しく温かかった祖母が亡くなって1年。
仕事が休みのため、用足しに出て、たまたま買い物を思い出し、近くのデパートに寄った時に気づきました。
一年前の今日。祖母が亡くなった知らせを受けて、仕事を早退し、慌てて喪服を買いに行ったデパートでした。
あの日の事は鮮明で、本当に1年も経ってしまったのだろうか、と不思議でなりません。
祖母のこと、あの日の事を思い出しながら歩き、たまたまトイレに行きたくて探していたら、トイレのすぐ近くに喪服を買ったあの店が。不思議な偶然です。
せっかくなので、喪服に合わせたパールネックレスを買った店で、またネックレス(パールではないですが)を買ってきました。なにか、毎年この日に意味づけをしたかったのかもしれないです。
それから祖母の好きだったモンブランを買って帰宅。
仏壇に供えられなくてごめんね。
今度実家に帰るからね。会いに行くからね。
祖母が今この世にいないことに対しては、
未だに受け止められてないのか、
認めたくないのか、
それとも消化出来たのかよくわからないけれど、
「泣く」ことを抑えてしまいます。
祖母は幸せだった、
夫を支え、
3人もの子どもを育て、
孫もいて、
ひ孫の誕生にも立ち会えて
私にはまだ何一つ成しえていないことをできた祖母は、
幸せで、立派で、
私の誇りだと、
そう思いたいのかも知れない。
泣いてしまってはいけない。
祖母が満足して旅立ったのだと思いたい。
ありふれた言葉だけれど、
祖母は身体こそないけれど、
私の心の中に、記憶の中にしっかりいる。
私を呼ぶ声も、しゃべり方も、温かいけどシワシワの手も、気持ち良い頬も、
ずっと憶えているから。
それで十分だ。
結局これを書きながらないてしまったけれど。