ひねもすのたり物語り

HSPとあれこれ

お祭りが苦手です

「お祭り見に行こうよ!」

夏に秋。そう誘われて友だちと行くお祭り。

山車に笛太鼓、踊り、掛け声。

押し流されるような人混み。

 

屋台の食べ物が目当てで行く私は、

正直『お祭り』の楽しさを微塵もわかっていない。

最近そんな自分にようやく気づいて、

随分ドライな人間だなぁとこれまた冷めた目で自分を見ている。

 

何が苦手なのか。

人混みは、確かに苦手だ。

ぶつかってくる人、匂い、

自分がじゃまになってないか?

はぐれないか?

知り合いにばったり会ったりしないか?

周りの人の会話や服装が耳や目に入ってくる。

情報処理に追われて、連れの友達との会話がままならない。

座りたいけど座る場所がない

ゴミを捨てる場がない

いろんなことが一気に入り込んできて、

ふと空を見上げると雲や月がキレイでホッとする。

 

山車や踊りのパフォーマンスを長く見ることも出来ない。

知り合いがいるのなら探すけれど

『そのもの』を楽しめない。

なんとなく、『祭りに参加してる人』と『自分』は別世界にいるんだなぁと一線を引いてしまっているのだと思う。

 

それは学生の時の『球技大会』や『文化祭』『体育祭』と同じ感覚。

あるいは、担任の先生をあだ名で呼んで、まるで友だちのように親しくしている同級生を見る感覚。

 

 

だから多分、羨ましさも少なからずあるのだと思う。

 

それと、子どもの時から『祭り』の印象はあまりよくなかった。

 

酒に酔って赤ら顔で盛り上がるおじさん達。

怒声のようなかけ声と笑い声。

 

夜布団に入った時に、遠くから聞こえる祭りの賑わいはとても好きで、それを聴きながら眠りにつくのはなんだか幸せだった。

 

出店に関しても、恐らく育ってきた家庭的に『むだなものは買わない主義』が根付いている。

外れれば100金で買えそうな要らないものが貰える500円のくじよりも、おいしい焼きそば買ってあげるよ

という家庭だった。

 

それに関しては今や全くなんの異議もない。

私自身、そう思ってる。

なので、友だちが500円も使ってくじや射的をするのをなんとも不思議な気持ちで見てしまう。

『その場のノリ』なんだろう。

それが『祭りを楽しむ』ことなんだろう。

外れても、いらないものが当たっても。

友だち3人のうち2人がやったくじを

「私はいいや」と断った私は、

それだから祭りを楽しめないんだろうなと思う。

でもそこでやりたくもないくじをした時、

その瞬間に『私』はいなくなり、

祭りを楽しめないどころか『祭り嫌い』になってしまうだろう。

 

余談だが、親戚と、その小学生の娘と出店に行った時のこと。

くじで確実に『ハズレ』を引いたその子を見てなんともいたたまれない気持ちになった。

その子の気持ちが凄くわかる。

「この中から選んで」と言われたハズレ景品は

恐らくどれもいらないんだ。

それでも貰わなきゃいけない

周りからの「残念」という憐れみの視線

慰めの言葉

「これ、かわいいんじゃない?」と勧められて貰うけれど、

そう言われたら気を使って微笑むしかない。

 

「これやる??お金出してあげるよ!」

と言われたキャラクターのフィギュアすくい。

やりたいなんて一言も言ってないけど、

そんな笑顔で言われたらとりあえずやってみる

けれどアンパンマンプリキュア妖怪ウォッチなんて、幼すぎて欲しいものなんてない。

興味のないものから、少しでも興味あるものを見つけよう。

そうやって見ていたら

「すごい悩んでる!」

と笑われた。

 

女の子の気持ちが、ひしひしと伝わってきてなんだか見ていられなくなった。

 

お祭りって何が楽しいのか

それをつきつめてしまった時、楽しくなくなるんだろう。

そういうことを考えず

盛り上がって、

楽しめればいいのだけど。

 

これで500円かぁとか考えた時点で無理なのだ。

 

いくら歳を重ねても祭りに参加する『あちら側』に私が行くことはない(行きたいと思わない)けれど、それでも

仕事を終えて太鼓や笛を練習したり

協力して毎晩山車を少しずつ作り上げていったり

終わったあとに「おつかれー!!!」と盛大に乾杯してビールを煽ったり……

 

そういう非日常に憧れもある。

結局のところ、羨ましいんだろうな。

でもやっぱり祭りは苦手だ。