あたまの中の引き出し

備忘録のような分析のような日記のような

『褒め』の温度差

人よりも少しは得意だと言えることがある。

絵を描くことである。

そのため、時折趣味の範囲で装飾やカットイラスト、似顔絵を頼まれることがある。

描く事は楽しく、期待からのプレッシャーを除けば特に苦はないのだが、唯一苦手な瞬間が、公の場で見せたその瞬間だ。

 

リアクションを分析してしまう。頼んだ手前、また描いた本人がいる手前間違いなく『褒め』られるのだが、その『褒め』が本心からか、社交辞令か、気をつかったものか、中には「え、私の方がうまいでしょ」と思う人もいるかもしれない。それでも皆一様に『すごい!!』と言ってくれる。その様々な気持ちが織り混ざった『褒め』を受け止めきれないのだ。

 

私にとっては絵であるが、これは例えばバレンタインデーに「お菓子作りが趣味」なためにクラス全員にクッキーを作るハメになった時にも似ているのではないか。あるいは文化祭で任された趣味のギターソロステージとか(そんなことあるのかわからないが)、書道習っているために題字を頼まれたり、ミス〇〇に推薦されたり。

 

視点を変えれば、私自身相手の「すごい」ことに対して形だけの「すごいー(棒)」を言っている時がある。自分にその経験もなく、また興味もないためやってみたい、できるようになりたい、と思ったことがないことについてだ。(私の場合スポーツ系はさっぱりなのでいくらすごい話をされても(棒)である。

反対に、したことがある・興味があることは、どれだけ大変か?すぐに出来ないことか?がわかるため心から感動してしまう。

 

そう考えれば、私の絵に対するリアクションもそうなのであろう。

 

個人的考察だが、絵の内容にまで触れてくれるのは絵に対する興味があったり、また自身も描く機会がある人。しかし好き!極めたい!とまではいかず、『すごいなぁ、』と一線を引いて感心する。

 

これが「何で描いたの?」「どのくらいかかったの?」「これどこから描くの?」とさらに工程まで聞いてくる人は興味が強く、苦手だから(または好きだから)上達したい!と思う人。

 

自分がする必要もなく、興味もない人は特になにも触れなかったり、周りに同調する(棒)の一言でおわる。

 

 

だからいいとか悪いとかではない。私自身興味ないことは相手に失礼なほど興味ない態度をとってしまう。

 

だからあまりまわりの反応にビクビクしなくてもいいのかなと考え直した。自分の好きな事は、同じように好きな人が頑張りを認めてくれるだけで充分ではないだろうか。

 

 

 

 

余談だが絵に関しての「これどれくらい時間がかかったの?」という質問は毎回言葉に詰まる。

なんと答えるのが正解なのだろうか……(笑)

 

短いのも失礼だし長いのも恩着せがましいし、というか描き始めると2~3時間あっという間だけど引かれそうだし