あたまの中の引き出し

備忘録のような分析のような日記のような

それはプレゼントなのか?

プレゼントって大なり小なりあげたりもらったりしますよね。
誕生日に限らず、バレンタインやらクリスマスやら御中元お歳暮、仕事手伝ってくれたお礼、記念日などなど。

そういうのが頻繁にある職場なので、私もよくもらったりあげたりしていました。

もらうのはとにかく何でも嬉しい。そのひとの好意込みだから。物というより好意が嬉しい。

あげるのは少し難しい。好みがはっきりわかってる人ならいいんだけど(このブランド、キャラクターが好きなど)、わからない上に地雷があるほど難しい。毎回必要以上に頭を悩ませ時間をかけてしまう。

それでもそうしたやりとりってコミュニケーションとしてすごく嬉しいなー楽しいなーと思っていたのですが。

最近
なんというか
重荷に感じることがしばしば。


まず、もらったら返さなくてはならない!という焦り。焦り?責任感?なんといえばいいのか

誕生日プレゼントって、1度あげたりもらったりすると、その人と繋がっている間ずっとやり取りが続きますよね。うっかり忘れてた時には大変。人によっては覚えていて『あれ、私あげたのに』と表面には出さず(これが怖い)気にしてたりして。バレンタインもしかり。気にしない人は忘れてるし!そもそも「あげたいからあげただけ」タイプの人もいるんだけども、見分けはつきづらい。

私自身あまり記憶力がない……というかその場のノリでいいものに出会ったらあげる派なので、若干面倒になってきた最近。でもお返しせず嫌われるのも怖いので返し続け、相手によってはエンドレスプレゼント交換になってしまったり……。


それから最近思うのは、『いらないから』と物をくれる人。加えていうなら『〇〇さんこれ好きでしょ?私もらったけどいらないからあげるね』ってパターン。


いや、いやいやいや。

そう言われたら紙切れ1枚でも受け取るしかないよね……!

でも『ああああああいいんですか!?』
って時と、もちろん
『え……いや、私もさすがにこれはいらないんだけど……』

って時がありますよ。

でも好意だってのはわかってるし、もらう時はもらってるし無下にできず……そして捨てられず部屋にたまっていくものたち……

難しい……



『自分がいらないものをあげる』って、どうなんだろうね。

人にとっては確かに『私はそれ欲しい!!』って人もいるだろうし(捨てる神あれば拾う神ありだっけ?違うかな)。

知り合いの幼稚園では、裕福な家庭の保護者がある時ドッサリゲーセンの景品のぬいぐるみやら音のなるヒーロー物のおもちゃやらを『よかったらどうぞ』って寄付したらしい。寄付されたものの、ぬいぐるみはデカくて数が多いわ、おもちゃは園で遊べるようなものじゃないわ(しかももちろん前の世代のヒーロー)、結局殆どを業者に処分してもらったらしい。

そりゃあその親からしてみれば、金に任せて好き放題手に入れた、けどもう飽きていらなくなってしまったモノを、『寄付』して満足だろうね。ムダ遣い、もったいないという罪悪感を、『いいことしてあげた!』という……えーと言葉が出ないけど、とりあえず自己満足だよね。罪悪感を寄付って形でごまかしてるんだよ。


まあそれと『〇〇さんこれ好きでしょ?』はちょっと違うと思うけど。

なんにしろ、プレゼントって難しい。


あと本当に嬉しいのって、

何をもらったか
どれだけもらったか

より、

誰にもらったか

が重要だと思う。


めったにものをくれるような(わざわざ買って)、しかも誕生日とか覚えてないような幼なじみが、学校の帰りに何の脈絡もなくくれた誕生日プレゼントの手作りクッキーとか。いまだに感動を覚えてるし、あれに勝る手作りクッキーに出会ったことがない。……何回言ってももう作ってくれないけど(笑)

そんな感じ(締め方がわからない……いつになったら文章力つくのかしら)