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あたまの中の引き出し

備忘録のような分析のような日記のような

五年前の

今日。


五年も経ったのに、未だにいろいろ覚えています。

保育園では午睡中。
揺れた!と思って、
でも揺れるのは結構よくあることだから。収まるだろうと思ったら収まらない。

揺れる中子どもたちを起こして毛布かけて覆いかぶさって揺れが一時的に収まった間に園庭へ。

三月なのに雪がちらついてきて、
布団をかぶりながら迎えを待っていた。
正直避難させつつも頭の中は真っ白で、
でも私の周りでは建物が崩れるでもなく
揺れが収まれば終わり。そんな気がしていたようにおもう。

子どもたちを返して帰り道。
信号が全部停止。そうか、停電か。
そんなに大規模なのか。

アパートに帰って、暗い中姉と姉の職場の人と一緒に夜を明かす。
ガスが使えるのが幸いで、湯たんぽを作ってコタツに入れた。
そうか、電気がないとこんな寒いのか。ストーブだって電気が必要だ。なにより暗い。

正直、最初はちょっとした非日常感に3人とも騒いでいた。何もすることがないからお菓子を食べて寝る。
けれど、寝られない。
すぐ逃げられるようにコタツでウトウトするけれど、
数10分おきに大きな余震がきて、その度立ち上がり、
いつでも逃げられるようにする。

そのうち、ふとケータイのテレビを見た姉が、「津波が……」と呆然とする。
暗闇で3人で覗いた画面に、
津波の映像が。

すぐには地震津波が繋がらなかった。
なんの?なんで?とまるで映画みたいな映像をただ眺める。
死者数は見る度更新されていく。


朝にはあまりに現実味のない数字に膨れ上がっていた。



その後食料を買いにあちこち店を回った。
どこもレジが動かないけれど工夫してそれぞれ食べ物や日用品を売っていた。
並んで買った。

買いながら思っていた。

停電くらいなんだよ

停電が終わって、すぐに生活が戻った。

機能しなかったのは二日三日。

それがなんだよ

わたしのあの日の体験はこれだけ。
寒さに耐えて、
揺れに耐えて、
それだけ。

私の住んでいる県が『被災地』とこの5年間言われてきたけど、
内陸の被害なんて点ほどもない。

あの日、大変だったんだよ。

そう口にする度、

なにが?

と思う。


『あの日』のダメージが人によって、場所によってこんなにも違う。

いくら震災の映像を見たところで、被害を受けていない、私には苦しみと辛さを想像することしか出来ない。

被災地の人に『大変でしたよね』なんていうことができない。


日本全体、みんなが平等に被害を背負えばよかったのに。


なんでこう不平等なんだ。


助け合うためか。

被害を受けなかった人が、受けた人を助けるために不平等
なダメージ配分なのか。



ただつらつらと書いてしまったけれど




とにかく、
一日でも早く被災地が元の活気を取り戻しますように。


亡くなられた方の御冥福をお祈りします。