部屋にものが溢れている……ということで、いわゆる『捨て活』を始めようと決心した。
20代も後半……さすがに着られない服、バッグ、ブームが去ったCDにマンガ本……といろいろある。
しかし物が捨てられない。
壊れたり、汚れれば捨てられる……というわけでもなく、愛着があると『いや、まだ大丈夫……』と使ってしまう。
当然もったいない精神も強くて、好みが変わっても『まだ使える』なら捨てられない。実家がそんな感じで(長く大事に使う、貰い物を使う、またはあげる、お下がりなど)、とてもいいことなのだろうが、おかげで明らかに消費期限を過ぎてても、捨てることに踏み切れない。
特にやっかいなのは『貰い物』だ。
一人暮らしを始める際、まだ学生でお金がないため調理器具やカーテン、毛布、こたつ、食器棚といろいろ友人や親戚から頂いた。10年も経てば社会に出てある程度自由なお金もでき、家具店などで「あ、これかわいい」というのを見つける……しかしまだ使える貰い物を捨てるわけに行かない。壊れたりすればそれを理由に出来るのだが、そういうものに限って持ちがいい。
貰い物といえば、ぬいぐるみやキーホルダー、アクセサリーや服も捨てづらい。好きな人から貰えばもちろん、興味の無いものを興味の無い人から貰っても、後から「あれどうした?」「使ってる?」なんて言われれば困る。
とりわけ『捨て活』をしていて後ろ髪を引かれながら捨てたのは、『関連する楽しい思い出がある物』である。
ライブグッズや、写真、友だちと選んで買った服、二次創作グッズ(オタク限定だが)、ハマっていたDVDにゲームなど。
それに触れることで楽しい思い出が蘇る。
逆に、捨ててしまえば、楽しい思い出をもう思い出せなくなってしまうように感じてしまう。
……と、ここまではよくある『捨てられない』心情だと思うのだが、私の『捨てられない』はさらにやっかいなものがある。
それは、なんでも擬人化してしまうのだ。
ゴミ袋に入れる瞬間、捨てる物の気持ちになってしまう。
ゴミ収集車に入れられ、あの回転する刃(よくわかんないけど)に巻き込まれ、他の生ゴミやら紙くずやらと一緒に押しつぶされる。
そしてゴミの山の中にいたあと、燃やされる。
人の死を連想してしまうからだろうか。
なんなら人の死の方がまだ優しい(当たり前だが)。
私がこの物の生死を握っているのかと思うと、本当に捨てられない。プラとか缶とか燃えないゴミならそんなに辛くはないのだが。
壊れてしまえば、それが『寿命』となるのに、まだ生きている物を捨ててしまうのは自分が裁判官になって死刑宣告をしたかのようだ。
こういう考えの『捨てられない人間』はどれだけいるのだろう。そしてその人たちはどうやって捨てているのか知りたい。切実に。
ひとまず罪悪感を少しでも払拭するため、今は
・『ありがとう』と心で感謝して捨てる
・塩を振る
・写真を撮る
事にしている(下に行くほど捨てられないもの)
今日も思い切って服を袋一つ分捨てることにした。
捨てると案外気持ちがすっきりするものだ。
過去の物に縛られているのだろうか。
捨て始めるとあれもこれも、と意外に捨てられるものだ。
まだまだ整理できてないところがあるが、目標8割にまで減らす!でちょくちょく片付けをしたい。
最大の敵はぬいぐるみ達である……売るのも嫌だが(他人が使うのが嫌だ)捨てるのも辛い……し怖い。うーむ。