ひねもすのたり物語り

HSPとあれこれ

プレゼント交換

生きていて1度はプレゼント交換という誰も得しない儀式に参加したことがあるはずだ。

 

欲しいものが当たらず、『ビミョー……』という空気に晒される。

 

小学校の時の授業の中のクリスマスプレゼント交換(手作りで、確か100円以内とかそんな)に始まり、社会に出ても未だに毎年プレゼント交換に強制参加させられる私。

 

 

貰うのもビミョーであれば、選ぶのもビミョーである。

人数が多ければ多いほど『みんなが喜ぶもの』が限られてくるからだ。

 

嫌な人はいないだろう、と思っていた

入浴剤は、『風呂の水を洗濯に使うから入浴剤使わない』

                    『風呂沸かさない。シャワーだけ』

という言葉を聞いてから選択肢から外れた。

タオル、コップ、食器は一見あっても喜ばれそうだが、有り余ってる家も多い。

キャラクターグッズは好みが分かれる。

食べ物も以外に好き嫌いがハッキリしているため、1品で攻めるのは危険だ。

文房具は消耗するのであっても困らないが、無難すぎる。

クッション、ブランケットは欲しい人いらない人が極端にいる。実はあまり使われない。

 

 

ふと考えたのが、『周りからの反応』である。

 

例えば、いらないものが当たって、周りの反応も『あー、うちもいらないわ…』だったとする。テンションがた落ちだ。

 

しかし、もし周りが『えーーー?!なにそれ!面白いね!!』『欲しかったやつだ!!』『交換してーー!!』なんて反応をしたらどうだろう。『いらないもの』に、一気に価値が出るのだ。

 

以前のプレゼント交換で、某ネズミ王国のぬいぐるみがあたった。正直そのキャラクターに興味がない私は『げー……使えないなぁ、』と思っていたのだが、周りの反応のすごいこと。『交換して!』に対してつい『だめー!』と言ったほどである(くれた本人もいたから当たり前だが)。なんとなく『当たり』を引いた気になった。

 

つまり、だ。

逆に考えれば、『全員の好みを把握するのが難しい』のならば、『周りが羨ましがる、あるいは注目を浴びるものを選べばいい』のではないだろうか??

別に『みんなが欲しいもの』でなくていい。そんなのが分かっていればそもそも苦労はしないのだから。そうでなく、『人が選ばなそうなもの』

『珍しいもの』

『自腹ではまず買わないもの』

である。

 

実際いらなくとも、好みでなくとも、交換後のお披露目で一旦注目が集まる。『すごい』『そんなのあるの?』『なにそれ!?』という言葉を貰うだけで、もらった側は少し優越感を感じるのだ。少なくとも『あー、かわいいね(棒)』『何もらった?……ふぅん、』よりは。

 

 

ということで今年もプレゼント探しに頭を悩ませつつ向かおうと思う。

適当に選べる人間だったらどれだけ楽か…

 

そして今年は何をもらうのか。あまり期待しないでおこう…

 

(自分がこうして悩んで買う分、相手からのプレゼントが適当だとやるせなくなるので、いい意味で適当に買えるのが一番いいと思うという結論)

 

おやすみなさい。

宝くじ

友だちから『宝くじを一緒に買おう!!』と誘われた。

私は人生で一度も買ったことがない。親がそういうのを買わなければ買わないのではないだろうか。

 

一万円分、と聞いてビビる。

まじか。

 

別に現実主義者ではないし、ギャンブル的なものも嫌いではないが、見返りの薄いものはあまり好きじゃない。

 

当たる時は5枚買っても当たるし、

当たらないときは100枚買っても当たらない。

主義である。

数撃てば、じゃなく運命を信じる人間なんだなーと改めて気づく。ロマンチストだったのね。

 

宝くじだが、300円、3000円、1万円、100万円……と当たっていくらしい。

 

ならば3000円分買うのが妥当な気がするのだがどうだろう。

300円当たっても2700円の損だからまぁ諦めがつくし、1万円当たったら7000円の黒字!!

ギャンブルにはちょうどいい気がする。

(1万円買って3000円当たってもまぁそりゃ当たるか、くらいにしか思わないし、1万円当たってもプラマイゼロ)

 

宝くじを躊躇うのはそれだけではない。

ひとりで買うならともかく、友人と……なんてなんだか恐ろしい。

当たらなければ御の字だが

もし片方が高額を当てたら。

隠せるわけもなく、人間関係が歪みそうである。

お金ほど人間関係を壊すものはない、気がする。

 

同じ1万円を使うなら、個人的には

 

お年玉付き年賀はがきを150枚くらい買う。

景品が当たればラッキー

(ちなみに一等は10万円)

当らないハガキで、懸賞に応募

(2000円くらい余ってるので雑誌をいくつか買う)

欲しいものを狙ってもよし

高額家電を狙って売ってもよし

現金でもよし

 

 

150枚あれば宝くじより何かしらあたるのではないかしら。

 

性格わるいかしら。

 

ふつーに宝くじ買う人の方が純粋な気がしてきたな……

 

 

 

しかしなんだかんだ流されて1万円ドブに捨てる展開が目に見える

 

おやすみなさい

間違えたとき

よく浮かれてる時や時間が無い時にミスをするのですが、

ミスをして迷惑をかけてしまった時、相手の反応が気になります。

そんな、お前ミスした立場で何言ってんだって感じですが、逆に自分が迷惑をかけられた時こう対応しようかな、と考えるきっかけになります。

 

 

例えば。

 

Aに頼まれて、ジャガイモと玉ねぎとにんじんと牛肉を買いに行った私。

間違えて牛肉ではなく豚肉を買ってしまいました。しかもひき肉。

なんとカレーを作るつもりだったらしい。

 

A「私ちゃんが悪いわけじゃないよ!!私もカレーを作るって言っておけばよかったし!そもそも自分で買いに行かなかったわけだし!ごめんね!」

 

へこみますよね……。

 

いっそ責めてくれよ……。

 

まず、間違えた時点で私のミスである事は確実。

そこを認めて欲しい。

でないとひたすら私は「私のせいで」を繰り返すはめになる。言葉でも頭でも。

 

そしてAさんが自身を責め始めたら私はそちらも否定しなくてはなくなる。「Aさんはなにも悪くないじゃないですか!私が悪いだけです!」を言い続ける地獄。

 

例えば、「あちゃー!いや、でもレシートあるし取替えてもらえるんじゃない?」

 

なんて言ってもらえれば、「ごめんなさい」と謝ることもでき、それを「許してもらい」、「解決策を一緒に考えて」もらえる。

 

A「いいよ!大丈夫!カレーは今度にして今日はハンバーグにするから、気にしないで」

 

も、一瞬解決策っぽいけれど、『私のミスでAさんに迷惑をかけた』感がじわじわ強まって借りを作ったどころじゃない。

 

相手のミスに対して、「落ち込むだろうから責めてはいけない」という気持ちは大事。でも「ミスしたことに共感して認めてあげること」も大事。

 

相手が挽回するチャンスを作ってあげる。

 

…………なんて、ミスばかりしてる私が言える話じゃないんだけども。

もし誰かがミスしてしまった時には、相手の「迷惑をかけてしまった……」という気持ちを否定せず、大事に受け取って、改善策を一緒に考えたいものだ。

 

 

情は人の

情けは人の為ならず、

 

昔の人はなんて的確な言葉を考えるんだろうか。

 

職場でミスをしてしまった。

明らかに私の過失。

 

私自身で上司に謝り、代案を立てて……というつもりだったのだが、先輩がどうにかならないか、とフォローに回ってくれていた。私には技術のない部分で、何時間も手がないか尽くしてくれた。

 

怒られるのを覚悟で、上司に説明し謝罪すると、

「してしまったことは仕方ない。今からどうするか考えなくては」

と、私が思いつかなかった代案を立ててくれた。

しかも、私が迷惑をかけた相手方に頭を下げなくていい方法で。

 

「先輩方にもいろいろやってもらって迷惑かけてしまったんです」

 

と言うと、上司から

 

「あなただって、困っていたら助けるでしょ?」

 

と言われた。罪悪感から、一気に感謝の気持ちに変わる。

 

ここは。

「迷惑かけてごめんなさい」

ではなく、

「助けていただいてありがとうございます」

 

なのだろう。

 

情けは人の為ならず。

 

今まで特に見返りを求めて誰かを助けるという意識はなかったが、(ものすごく厚かましい考えなので人前でいうものではないが)今回助けてもらった時、自分の今までの行いが正しかったのだと安堵した。

 

 

今回助けてもらった嬉しさ、優しさを忘れず。

 

これから何のためらいもなく人を助けられるような人間でいたい。

 

 

ミスは結局取り消すことは出来なかったが、

先輩や上司の優しさに触れ、感慨深く思った1日であった。

 

 

他人に怒られる

前々から思ってたけど、赤の他人に怒られるのがものすごく怖い。

というか、凹む。

当たり前な気もするけれど、結構ダメージデカくて、色んなことに一気に不安になる。

 

知人に怒られるならまだいいんです。弁解だってできるし、「わー!ごめんなさいー!!」って謝ることだって出来るじゃないですか。

 

これが二度と会わないかもしれない他人となると別。

「相手を怒らせてしまった」

「不快な気持ちにさせてしまった」

「私のことをずっと恨んでいるかもしれない」

「『こんなやつがいた』って言って回るかもしれない」

 

その、いつまで続くか分からない、私に向けられた『苛立ち』『恨み』『腹立たしさ』というマイナスの感情が怖いんだと思う。

 

「どうせもう会わないんだから気にしなくていいじゃん」

って考えができればいいんだけど。

 

「そんなことで怒る相手も心狭い!!」

って逆ギレできればいいんだけど。

 

 

例えば 自転車のライトをつけず走っていて怒られたり

             一方通行の道を間違えて入って怒られたり

             ゴミの出し方を間違えて怒られたり

             駐輪してはいけない所に知らずに停めてしまい怒られたり

 

自分に非がある、けれど悪意はない。

そういう時に怒られると本当に泣きそうになる。

 

悪意がない、

なんてことは初めて会った他人にわかるわけもない。

 

結局悪いのは自分なのだ。

 

だから極力怒られないよう、知らずにルールを侵さないよう気をつけてはいるのだが……ちょくちょく失敗してしまう。

 

怒られるのは怖い。

責められるのも怖い。

特に知らない相手から。

 

 

 

 

 

 

ところで、怒られる~ってやたら打っていたら『怒り』が観たくなってきた。来週ですね!一人で行くか、誰か誘うか悩み中……!

 

綾野剛どきどき……

 

 

 

 追記

 

どうでもいいけど、赤の他人に対して注意や指摘ではなく怒る(怒りをぶつける)人は30代~50代女性が多いように思う。たまたま私がそうした人に会っただけかもしれないが。

もし自分がなにか相手に迷惑をかけられた時は、よほどの損害がない限り、やんわり教えるか流すかしようと思う。

 

 

 

男子には縁遠い女子集団特有のドロドロとした空気について


女子集団のドロドロとした空気が嫌いだ。
小学生、いや、下手したら年長くらいから出くわすあの空気。

職場も女子社会なのでかれこれ四半世紀近く付き合っているあの空気。
男子にはわからないだろう。それがずっと羨ましい。
逆に女子のみなさんは経験したことない!!とは言わせない。


誰かに聞いた、

男子は 
             それ好き! 
                                   →俺ら友達!(´・ω・`) 人(´・ω・`)
              俺も好き!   
でも女子は
             それ嫌い!
                                   →私ら友達!(´・ω・`) 人(´・ω・`)
              私も嫌い!

がすごくわかりやすい。


女子(女性もだがあえて女子で)は『好きなもの』を共有できないのです。


集団の中で『嫌いなもの(人)』を共有することで、

  「私たち理解者!」
 
となり、逆に互いに裏切らないよう牽制をかけている。

「あなただから言うけど……」
「ここだけの話だけど……」
「みんなには言わないでね……

のあとに続く話はつまるところ『人質(言質かな?)』で、バラされた時のリスクは高いけども、『その分あなたを信頼してるのよ』って証。もちろんその裏には『裏切ったらこっちも裏切るわよ』というのもありますが。……怖い(゚ロ゚ノ)ノ


ではなぜこれが『悪口』というネガティブなものでなくてはならないのか。

『人質』ってことを考えたら確かに『悪口』じゃないと成り立ちませんが……。

女子は男子のように『○○いいよな!』『おう!』みたいな会話はしないのか(ちょっと極端な例ですが↑)



風呂で髪を洗いながら考えてみました。


悪口以外だとすると……

①その場にいない友達の悪口ならぬ善口
例「Aちゃんのお弁当、キャラ弁でね、すごくかわいかったんだよ!」
     「Aちゃんほんと美人だよね」

→相手が自分よりAちゃんと親しいのならともかく、これだと相手には何のメリットもなく、下手したら「私のことディスってんの?」と誤解されてしまう。さらに相手がAちゃんを快く思ってない場合は、最悪「Aちゃん側なのねーじゃあ敵だわお前」と思われることもある(顔には出さない)


②共通の『好きなもの』について話す
例「俳優の○○ってかっこいいよねードラマ見てる?」
    「このブランドいいよね!」
    「このアプリはまっててさ……」

→最初は楽しく感じられて、でもだんだん窮屈に感じてくるこの話。
相手が自分より詳しかったり、たくさん持っていたり、上手だったり、熱があったりするとその『落差』にイライラしてくる。同じペースではまって楽しめるならベストだけど、大抵差が大きい。
そうなるとむしろ相手が嫌い、そして嫌いな相手が好きなものも嫌いになり、あんなにはまっていたものが嘘のように冷めてしまう。

だからより『人と被らないもの』『レア物』『1点物』『マイナー物』を好きなる人は「私だけが好きでいたい!」と思っていて独占欲が強い傾向があるのではと思う(私もだが……^^;)


③相手を褒める
「○○ちゃん(相手)ってなんでもできてすごいよね」
「○○ちゃんの歌声すきだなー」

これはなんというか、純粋であればいいけれど、下心ある『褒め』には女子は敏感なので繰り返しすぎたり、ポイント絞らず褒めて下心がバレると一気に嫌われてしまうので本当に思ってること以外言わない方が吉だと思われる……。

あと褒め言葉は第三者から伝わった方が嬉しさも好感度も信憑性も増すので、

文句は直接!
褒め言葉は間接的に!!

を推奨したい。



結論としては女子が一番絆を深めるのはやっぱり『悪口』あるいは『風評』『噂(よくないほうの)』なんでしょうね……


-×-が+になるように……というと聞こえはいいけども。

相手を落として落として男性に選んでもらう……という種保存的な関係もあるのかしら。(壮大な話になりそうなので掘らないけれど)


女子として生まれたからにはうまく付き合っていくしかないのか……ほんと男子の関係が羨ましい。

男子のみなさんにはそんな女子の水面下の冷戦があることを知っていて欲しい……ような欲しくないような。汚いですよ!女子って(;´∀`)

みんなが楽しく、お互いのいいところを見つけて、言いたいこと言えて、逆に受け止められて、譲り合って、気遣いあって、でも縛られなくて自由で、人の幸せを幸せと感じられて(ほんと!女子はここも欠けてますよね……)、前向きに向き合って過ごせたら幸せなんだけどなぁ……そんな女子集団に



私はなりたい。。






したきりすずめ

「どうでもいいわww」っていう話をひたすら考察するのが好きなんですが、この間『したきりすずめ』の読み聞かせを聞いた時のこと。
     
    ※簡単なあらすじ
       おじいさんが助けた雀が恩返しに雀の宿でもてなし、お土産に大小どちらかのツヅラをあげると言われ、小さいのをもらったおじいさんが帰ってツヅラを開けると金銀小判。しかし真似してよくばり婆さんは大きいツヅラを奪ってきて化け物や汚物が出てくるという話。


読み聞かせていた方いわく、

おじいさんはどっちを選んでも(優しいので)大判小判が出てきた。反対におばあさんはどっちを選んでも化け物が出てきてた。


それを聞いて解釈の違いになるほどー!と感心。

個人的には、 

もともと大→化け物
                小→大判小判
だと思ってました。

優しい遠慮深い人なら小さい方を選ぶに違いない。
宝目当ての欲張りな人間なら、大きい方を選ぶに違いない。


そんな、『最後の審判』だったのでは。
という考えも面白くはないでしょうか。


ちょっとひねくれてるかな。

ちなみに自分だったら……大きいほうかなー笑