ひねもすのたり物語り

HSPとあれこれ

時は流れている



半月くらい前のことになりますが、

祖母が亡くなりました。
いわゆる私は内孫で、姉妹2人厳しく優しく可愛がられて育てられました。
正直躾は両親より祖母にされたように思います。

背筋を伸ばせ、
茶碗を持って食べろ、
口を閉じて咀嚼しろ、
ものを見るとき目を近づけすぎるな、
靴は揃えて置け、
髪は結え、
足音立てるな、
ドアは静かに閉めろ、
ものを跨ぐな、


当時は『お前のために言ってる』という言葉にホントやかましいなぁ、くらいにしか思っていなかったのですが、

実家を離れ、社会人になった時、
本当に感謝の気持ちしかなかったです。


あぁ、本当に私のためだったんだ……という気持ち。

それからはたまに実家に戻って聞く祖母の小言がすごくあたたかく感じられました。

ちゃんと感謝の気持ちを伝えられないまま、あんなに元気だった祖母が、
100歳まで普通に畑仕事してるんだろうと思った祖母が、

あっというまに体調を崩し、入院。
入退院を繰り返し、顔も麻痺して笑顔も見られなくなり、入院もさせてもらえなくなり、週末会いにいかないと、と思ったその前の日に冷たくなりました。

体調を崩してから何回も寝る前に祖母のことを考え、いなくなることをイメージして泣いていたからか、正直本当に死んでしまった祖母を前にしても『これもイメージの延長では』としか思えなくてとにかく現実味がなかったです。葬式もろもろ終えても、未だに実感が薄い。
死ぬ間際の弱りきった祖母を見ていないから、あまりに元気な姿のイメージが強いから。
30年も生きていない私に、実質一緒に暮らしたのは18年だというのに、祖母から与えてもらったものはあふれるほどたくさんで。私はなにか祖母にお返しできただろうか??
愛情溢れる祖母の言葉に悪態ばかりつく、生意気な孫でしかなかったんじゃないか。

死について考える。

祖母は80すぎまで生きた。
長生きなほうだと思う。

同級生が、小中高大学と亡くなっているのを見てきた。

30、40でだって死ぬ。
芸能人だって、
金持ちだって、
死ぬ時は死ぬ。

親より先に死ぬこともある。

生まれる前に死ぬこともある。


両親は幸いにも健在だ。
それでもいつ死ぬかはわからない。

当然のように80まで生きると思ってはいけない
80まで生きるとしたって、あと10数年しか一緒にいれないのか??

自分は、高校くらいから中身が何も変わっていないように思うけれど、当然時は過ぎていて、それだけ周りも死に近づいている。

スクラップされるためにベルトコンベアで運ばれるゴミのように。

いつ死ぬかわからない。
明日死ぬかもしれない。
こんな文章打っているのがフラグかもしれない。
死について考えるとキリがなく恐ろしいけれど、

とにかく死に向かっていく自分と大切な人のために、少しでも時間をかけて一緒に過ごしたいと思った。

どちらかが死んだ時、思い出せる思い出が少しでも多くあるために。

時間はどんどん過ぎていく。

いくら気づかないふりをしていても、
終わりに向かって進んでいる。


それはプレゼントなのか?

プレゼントって大なり小なりあげたりもらったりしますよね。
誕生日に限らず、バレンタインやらクリスマスやら御中元お歳暮、仕事手伝ってくれたお礼、記念日などなど。

そういうのが頻繁にある職場なので、私もよくもらったりあげたりしていました。

もらうのはとにかく何でも嬉しい。そのひとの好意込みだから。物というより好意が嬉しい。

あげるのは少し難しい。好みがはっきりわかってる人ならいいんだけど(このブランド、キャラクターが好きなど)、わからない上に地雷があるほど難しい。毎回必要以上に頭を悩ませ時間をかけてしまう。

それでもそうしたやりとりってコミュニケーションとしてすごく嬉しいなー楽しいなーと思っていたのですが。

最近
なんというか
重荷に感じることがしばしば。


まず、もらったら返さなくてはならない!という焦り。焦り?責任感?なんといえばいいのか

誕生日プレゼントって、1度あげたりもらったりすると、その人と繋がっている間ずっとやり取りが続きますよね。うっかり忘れてた時には大変。人によっては覚えていて『あれ、私あげたのに』と表面には出さず(これが怖い)気にしてたりして。バレンタインもしかり。気にしない人は忘れてるし!そもそも「あげたいからあげただけ」タイプの人もいるんだけども、見分けはつきづらい。

私自身あまり記憶力がない……というかその場のノリでいいものに出会ったらあげる派なので、若干面倒になってきた最近。でもお返しせず嫌われるのも怖いので返し続け、相手によってはエンドレスプレゼント交換になってしまったり……。


それから最近思うのは、『いらないから』と物をくれる人。加えていうなら『〇〇さんこれ好きでしょ?私もらったけどいらないからあげるね』ってパターン。


いや、いやいやいや。

そう言われたら紙切れ1枚でも受け取るしかないよね……!

でも『ああああああいいんですか!?』
って時と、もちろん
『え……いや、私もさすがにこれはいらないんだけど……』

って時がありますよ。

でも好意だってのはわかってるし、もらう時はもらってるし無下にできず……そして捨てられず部屋にたまっていくものたち……

難しい……



『自分がいらないものをあげる』って、どうなんだろうね。

人にとっては確かに『私はそれ欲しい!!』って人もいるだろうし(捨てる神あれば拾う神ありだっけ?違うかな)。

知り合いの幼稚園では、裕福な家庭の保護者がある時ドッサリゲーセンの景品のぬいぐるみやら音のなるヒーロー物のおもちゃやらを『よかったらどうぞ』って寄付したらしい。寄付されたものの、ぬいぐるみはデカくて数が多いわ、おもちゃは園で遊べるようなものじゃないわ(しかももちろん前の世代のヒーロー)、結局殆どを業者に処分してもらったらしい。

そりゃあその親からしてみれば、金に任せて好き放題手に入れた、けどもう飽きていらなくなってしまったモノを、『寄付』して満足だろうね。ムダ遣い、もったいないという罪悪感を、『いいことしてあげた!』という……えーと言葉が出ないけど、とりあえず自己満足だよね。罪悪感を寄付って形でごまかしてるんだよ。


まあそれと『〇〇さんこれ好きでしょ?』はちょっと違うと思うけど。

なんにしろ、プレゼントって難しい。


あと本当に嬉しいのって、

何をもらったか
どれだけもらったか

より、

誰にもらったか

が重要だと思う。


めったにものをくれるような(わざわざ買って)、しかも誕生日とか覚えてないような幼なじみが、学校の帰りに何の脈絡もなくくれた誕生日プレゼントの手作りクッキーとか。いまだに感動を覚えてるし、あれに勝る手作りクッキーに出会ったことがない。……何回言ってももう作ってくれないけど(笑)

そんな感じ(締め方がわからない……いつになったら文章力つくのかしら)


似顔絵を描く勇気、描かれる勇気

仕事なんかに出来るレペルじゃなく、頼まれて描いてみた程度に何回か似顔絵を描いたことがある。

そこで思ったのは、

似ている≠可愛い ではないということ。

描いてと頼む側は「可愛く自分を描いてくれること」を少なからず期待している。
でもいざ似顔絵を描く、似せて描くためには、そのひとの個性を大げさに誇張して描く必要がある。

その個性はもちろんいいものばかりではない。

例えば広い額、一重まぶた、大きな鼻、目尻のシワ、しゃくれた顎、エラの張り……

「似せる」ためにはその人が指摘して欲しくないところも絵にしなくてはならない。

しかし(特に女性は)それを絵にすると「どうせあたし〇〇だもんね」やら「そこうまく誤魔化してくれればいいのに!!」となり、喜んでくれるどころか気まずい空気になる。

しかしすべての個性をなくしいいところばかり描くとみんな同じような顔になり「なんか似てないー」となるのだ。


逆に個性のない美人は描きづらかったりする。
ホクロやメガネ、個性的な髪型はそれだけで似てるように思うから楽。


描くのが難しい、というよりは相手の個性との駆け引きがなんとも難しい。それが似顔絵のように思う。

これがまだ商売として、ならわかる。
しかし相手が上司やら友達だとよけい気が引ける。


描いて!と頼む方はそれなりの覚悟をしてほしい(自分の嫌なところを受け止められるか否か)


でもそれ以上に、
嫌なところを描きつつそれが気にならないくらい元気の出るような可愛いそっくりな似顔絵を描けるようにもなりたいと思う。


小心者なので相手のウィークポイントを堂々とかけるまでに時間がかかりそうだけど。




おしまい。


フィギュアスケート

落としたスマホは3日後くらいに見つかりました。
無傷だけどその3日間お前は何をされてたんだ……と思うとこの現代社会、恐ろしいですね。

油断大敵。
みなさんもロックとGPSを。

しかし先月は怒涛の不運月間でした。今月に入りじわじわ調子が上向いてきたように思うので、頼みますよ!


ところで今フィギュアスケートやってますね。

決められた技を綺麗に決めて高得点を狙う選手達。

最近ではすっかり普通に見て応援してますが、一昔前は違う評価制でしたよね。

イナバウアー時代もかな??
芸術点というか、今では加点対象にならないからエキシビション以外ではなかなか見ない個性的な技。

今は『競技』なら、一昔前は『演技』だった気がします。

決まった技をいかにこなせたか、の競技の方が視聴者は分かりやすい。合理的に出される得点にも不平が少ない。

一方の演技は、審査員の好みによるところが大きいから、見ている視聴者の好みとズレれば得点不平が出る。

そりゃあ『競技』になったわけで。

フィギュアスケート番組がこんな頻繁にやるようになったのは、日本人選手の活躍はもちろん、それも原因の一つなのかなーと。わかりやすく楽しく応援しやすいから。
(とか言って一昔前の子どもの頃の記憶はあてにならないし業界人からしたら的外れだと思いますが)

勝手な憶測。


絵や書道もそんなところがありますよね。

「子どもでも描けるww」なんて素人目には思うような絵が、『有名な画家作』だったり『有名な画家に評価された』というブランドがつけば途端にとんでもない値がついてりして。
それをバカにした人がバカにされたりして。

うーん芸術の価値って難しい。


話は戻りますが、個人的には『間違えられない!!』という緊迫感と数字に換算されてしまうショートフリーよりも、その選手の好みや性格が出るエキシビションのほうが好きです。

それとは別に緊迫感というより気迫がとんでもない羽生くんの演技が好きです……というただの羽生クラスタ……笑
なんでしょうね、あの人はほかの選手と競ってるんじゃなく自分と競って、神にケンカふっかけてるような気がしますね。
強い人間はすごいなー……





結局羽生くんをほめて終わる、そんな今日のブログ。
フリー頑張ってねー







スマホなくした。

なくした。落とした?紛失?
とりあえず最 悪 だ!!ヽ(;▽;)ノ

20ウン年生きてきて思ったけど、定期的にこういうことやらかすんだよな……

遡れば小学生の時から、
ドブに片足突っ込んだり。
ゲーセンに新しい財布とお小遣いの2000円を忘れて取られたり。
バスにリュックや傘を置き忘れたり。
イベントにでかけてアパートの鍵を落としたり。
チャリで事故ったり
その日に使ったドライヤーが発火したり
財布盗まれたり。
それに鍵ついてたり。


多分忘れてるだけでまだなんかあった気がする……
とりあえずあまりに定期的すぎて『ああまた例のやつか……』と思ってしまった。
うーむ……ここまで来ると、いや、もちろん自分にも非があるけどね、それだけじゃない気がしてきた。なんか生まれ持ったものがあるのかしら。星の巡り的な。

うえー(ノд-`)しかしまず思ったのが不便。どんだけ依存してたのかがよくわかる……
あと次に思ったのが情報漏えい怖い。昔なんて名前と電話番号乗った電話帳がそこらに置いてあったからね、過剰反応かとも思うけど。私の個人情報はいいのよ。職場の人やら友人やらが不安。申し訳ない。
あとじわじわ思うのがデータフォルダとか見ないでくれ!!というね。自分の個人情報より個人情報だ……ほんとすみません。拾ったなら返してください。

どうなんだろう……ある程度人通りある道路で落としたから、しかもすぐ探してなかったから拾われたのは確実なんだけど。拾ったらどの程度の人が届けようと思うんだろうね。
いや、そもそも拾う時点で届けるか悪用するかの二択な気がするんだけど。今日明日で届かなかったら悪用目的で保管されてんだろうなぁ……。うぇー(´_`)

自分ならどうするかなー。交番遠ければ手元に置いて、電話来るの待つかなー。回線止めなきゃ良かったかなー。止めないのも怖いしなー。

なくしても位置検索できるアプリを入れておくべきだったー。この間そのおすすめが来てたのは伏線だったのね。
というか検索できないならもういっそ自爆してほしい……。そういう機能プリセットされてればいいのに。いや、ロックかけとけって話か。

うーんとりあえず経験からなんか今回は戻ってこない気がする。財布と同じ匂いがする……。

新しいの買う覚悟しておこう……







食べ物の好き嫌い


久しぶりの平日休みなのでランチに行きました。
休日だと1人で入りづらい店も、平日だと人目を気にせず行けてすごくいい。
その店はランチを頼むとちょっとしたお惣菜のバイキングもできるところ。お得感あります。注文を終え、いざバイキングへ……今日はどんなお惣菜かしら……。

サラダと、お惣菜4品。

うーむ……4品中1品しか食べられん。いや、食べようと思えば食べられるけどイマイチ好きではない。

結局サラダとお惣菜1品を持ってテーブルに戻る。

食べながらふと思いました。

なんでも食べれる人はあの4品全部皿に乗せて!「これ美味しい!」「こっちも美味しい!」と食べるんだろうなぁと。

そう考えると、同じ値段払ってても好き嫌い無い人の方がお得な感じします。

まあだからといって得するために食べたくないものを食べよう!とは思いませんが(笑)



あと、食べ物の好き嫌いに関してよく思うのは、

同じ「嫌い」「食べれない」でも食べ物によって周りの印象違いますよね。あれが納得いかない!

例えば  『ピーマン』
           →子どもの嫌いな食べ物代表格過ぎて大人になって公に嫌いとは言えない雰囲気
           
               『ネギ』
            →ラーメンとかみそ汁の小さいネギを抜いてもらうと「大変だね」って顔される。

               『肉』
            →珍しがられる。貶されない。「だから細いんだね」あげると喜ばれる。仲間内で焼き肉行くとなった時気を使われる。

                『フルーツ』
             →えっ!?なんで!?って反応される。アレルギーだと思われる。

                『きのこ』
            →「えのきは大丈夫」とかいうとめんどくさそうな顔される。

                『わさび、しょうが、しそ』
            →「子どもかよww」と笑われる。「生モノサビ抜きとか生臭くない?」と言われる。生臭くない。

                   『シナモン』
               →二人に一人くらい「わかるぅー!」と言われる。



ものすごく私の経験と偏見に満ち満ちてますがこんなところだと思います。



野菜嫌いと肉嫌いのリアクションの差に毎度首をかしげますね!肉嫌いむしろなんかかっこいいみたいな風潮ないですか!?私だけか!?




~子どもと好き嫌いについて。



私は昔から結構好き嫌いが多く、結構見た目で食わず嫌いもあったりしました。黒豆とか(虫に見える)、梅干とか(グチョグチョ感)、キノコとか(特にデカいびらびらしたやつ)ナスとか(紫色が移る感じ)。

それでも最近、いつの間にか食べられるようになったものが増えて驚いてます。
味覚って変わるんだなぁと。

あんなに親に「食べなさい」「一口でいいから」「美味しいよ」と追い詰められ泣きながらイヤイヤしてたのに。小学校の給食時間も、担任によっては昼休みまで残したりとかありましたよね。ご飯の容器が銀のフタ付きだったのでこっそり隠して返却したりしたものさ……。

今思えば強請されて食べたものって大抵美味しくなかった。食べられるようにならなかった。

じゃあどんな時に食べられるようになったか思い返すと、

『(強制ではないが)気持ち的に食べなくてはならない!と思って食べた時』

または、

『食べなくてもいい状況で、美味しそうに食べる人を見た時』

という結論になりました。
前者は例えば、友達の家で友達のお母さんが作ってくれたピーマンの肉詰めとか。
後者なら、友だちといったランチで「ここの黒酢あんかけおいしいんだよー!1口食べる?」と言われた時。



子どもに関わる仕事をしてるのですが、子どもの好き嫌いはわかりやすいです。
見た目(色、形、臭い)と味。

そもそも子どもは本能的に酸っぱいもの苦いものは『危険、食べられない』と察知するため避けるそう。身を守るために。そういうのが美味しいと感じられるのは大人になってから、なのは生き物としての本能なんですね。

だから無理に食べさせなくても……という気持ちと、食べないままでは栄養バランスが、という気持ち。子どもに苦手なものを食べさせようとする時に葛藤します。

いつかは食べるようになるから……と思いつつ、でも大事な成長期にバランスよく食べて欲しい。ならば『食べなさい!!』と口をこじ開けて食べさせるのではなく、こちらも『好き嫌いは仕方ない』と自分に言い聞かせて食べやすい様にアレンジするなり、量を減らすなり、「しょうがない、食べてやるか」って笑って口を開けてくれるような楽しい雰囲気で食べられるようにしなくては、ですね。


余談ですが、よく子どもが言うのは「家で食べたことないー」。確かに食べたことないのは大人でもちょっと躊躇いますよね。お子さんの好き嫌いは親の料理の腕とレパートリーにもかかってますね!!家のご飯って大事!私もスキ昆布嫌いだったけど今思えば家のあのドロドロ煮すぎたやつが嫌いだった!!ヨソで食べて食べられるようになったりもするからね!あっ、普通はこんなにおいしいんだーって(笑)母上ごめんなさい(笑)

あと、果物キライの子は家で出ないことが多いみたいです。なぜなら皮を剥くのが面倒だから。イチゴは好きだけどオレンジとかリンゴは嫌……。スイカとブドウは種があるからキライ、とか。親の好き嫌い=子どもの好き嫌いなんだなぁとよく実感します。


長々と好き嫌いについて語りましたが、嫌いなものがあることのいい事は、『嫌いなモノの美味しさに気づいてハマった時の喜び』が味わえることじゃないでしょうか。なんてポジティブ!(笑)

でもあの瞬間ってほんと感動します。「なんでこんな美味しいもの嫌いだったんだろう!」って。食べられるものが増えるってほんと嬉しいですよね。




長い人生、いろんなモノを好きになってその度幸せを噛みしめられればいいなぁと思います。

あと将来の子どものために(笑)料理の腕を磨いておこう……(  ¯﹀¯  )